Sgt. Pepper Special - Japanese Version

08.06.2017

「教えてポール!」前編
十代の頃、私たちの多くは、大人になったらやりたい事に気付いて「これだ!」と思った瞬間を体験してきた。 ここPaulMcCartney.comの本部にいるスタッフの一人にとって、その瞬間は、TVの『ザ・サウス・バンク・ショウ』のドキュメンタリーで “サージェント・ペパーズ”のメイキングを見た時、特にジョージ・マーティンがこのアルバムのタイトル・トラックのレコーディングについて語っている時に訪れた。ミキシング・コンソールの前に座る畏敬のプロデューサーは他の楽器の音をすべて落として、ポールの激しいヴォーカルのテイクだけを聞かせながら「ここでの彼の声は圧巻だ!」と語った。そしてマーティン氏がフェーダーを上げて他の楽器の音を戻すと再び楽曲が聞こえて来た。その瞬間に例の「これだ!」という瞬間が訪れた。音楽だ!

ということで、我々の、そして多くの人たちの人生を変えたこのアルバムの50周年記念盤が発売されると聞いて、私たちがとても興奮したのは言うまでもない。この絶好の機会に、今まで皆さんからオンラインで最も多くいただいていた質問と、あのドキュメンタリーを見て以来私たちの頭の中にあったいくつかの質問を組み合わせて、ポールへの質問を掲載している「教えてポール!」コラムの特別版をお届けする事にした。

このポールとのQ&Aセッションが行われたのは、アップルが世界に向けてこのアルバムのリリースの詳細を発表する数週間前、そしてこのインタビューの起こしが完成したのは、アビイ・ロードのスタジオ2(あのアルバムがレコーディングされたのと同じスタジオ!)で、ジャイルズ・マーティンが作業したステレオ・ミックスを初めて聴いた数日後だ。きっと皆、気に入ってくれると思う。アルバムの曲を隅から隅まで聴き尽くした者としては、アルバムの楽器の音がすべて聞こえてきて、今まで“長いこと知っていた”と思っていたアルバムの曲が、あたかも初めて聴く曲のように新鮮に感じた。とにかく信じられないほど音が鮮やかで、まさに“皆が楽しめること請け合い”である!

ポール・マッカートニー・ドット・コム [PMc]:アルバムのジャケットやバンドのコンセプトについて、どのようなきっかけで思いついたのか、覚えていますか? 元々のコンセプトは、あなたが、飛行機の中でエドワード朝の軍楽隊の落書きをした事がきっかけだったと聞いていますが?

ポール・マッカートニー[PM]:そうだ! いや、実際は、海外からイギリスに戻る飛行機の中での出来事で、その時は、ローディーのマル・エヴァンスと二人きりだったんだ。二人で食事中に彼が、ボソボソと「塩とコショウを取ってくれ」と僕に言った。それを僕が聞き間違えたんだよ。彼は[ボソボソと]「ソルト・アンド・ペッパー(塩とコショウ)」と言い、僕は「サージェント・ペパー?」と聞き返した。彼が“サージェント・ペパー”と言ったように聞こえたんだ。その瞬間、「ちょっと待てよ、いいアイデアを思いついた!」と言って、二人で大笑いした。その後、サージェント・ペパーという人物について考え始めたんだ。これから作ろうとしているアルバムで自分たちの分身を出したら面白いかも、と思った。

そして、結局そうなったんだけどね。それで、バンドの外見をスケッチしたりした。なんかミリタリー・ルック的な感じのものが頭にあって、アイデアの一つに、どこか北部の街の公園で市長から賞を授与されているようなイメージも持っていた。そういうところには、昔、花時計と呼んでいたものもあってね。つまり、花で作られた時計なんだけれど。その花時計と、“サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド”つまりビートルズが何らかの賞を授与されている絵を描いたりした。

つまり、アイデアの発端はそこで、その後バンドのメンバーに「こういうアイデアはどう?」と言ってみたら、彼らが気に入ったので、「マイクに向かって歌う僕はポール・マッカートニーではないんだ。だから、これがポール・マッカートニーの曲だと思わなくていいんだよ」とも伝えた。そう思う事で自由になれたよ。かなり解き放たれた気持ちになった。

もちろん四六時中このアイデアについて考えていたわけではないけれど、こういうアイデアを基本に、自由に何かを作ろうと思った。ビートルズらしいものを作らなくてはという事ではなく、この別のバンドが作るような曲をね。これが元々は、“ソルト・アンド・ペッパー”の聞き間違いから来ているのだからね!

PMc:絵を描いたのは、この同じフライトの時だったのですか?

PM:絵を描いたのが同じフライトだったのかは覚えていないし、それが同じ話として混ざって伝わっているだけなのかも定かではない。でも、聞き間違いをしたのは確実にこの帰りの飛行機の中で、その時にこの元になるアイデアが生まれた。

PMc:その頃すでにアルバムのために曲を書き始めていたのですか?

PM:ううん、でも戻ってからすぐに考え始めたよ。“じゃあ、どんなテーマ・ソングにしようかな?”って。それで自己紹介し、もう一人の人物、リンゴの演じるビリー・シアーズを紹介するあのオープニング曲を書いた。

これは架空の人物を作り出して、自分たちの分身にしようという試みだった。だから、アルバムも演劇作品を作るような感覚で作ろうと思った。別人になりきってスタジオに入ったわけだ。そして、ロンドンのウェスト・エンドのソーホー地区に行き、演劇の衣装を製作しているバーマンズであのユニフォームを作った。

PMc:衣装の色をバラバラにしたのには理由があったのですか?

PM:いいや。ただ生地を選んで、「僕はこれ、彼はこれ」と言っただけだった。特にコンセプトはなかったな。皆がそれぞれ好きな色を選んだだけ。

PMc:アルバム・ジャケット用に2種類のドラムヘッドが製作されたようですね。2種類作ったのには何か特別な理由があったのですか?それとも単に、他に選択肢があった方がいいという考えからだったのでしょうか?

PM:いや、別に。確かドラムヘッドはピーター・ブレイクが手配したと記憶している。彼は、移動遊園地などで描いているアーティストに依頼した。移動遊園地では、例えばワルツァー(回転木馬の車版)などのライドや、ビックリハウスのような建物の外側には、大抵独特なペイントや文字が施されている、昔から伝統的に続いている習慣なんだな。それらは特殊な外観で、それを専門に描いている人たちがいるから、ピーターはそういう人たちに依頼したのだと思うし、2枚作ったのは、ピーターがスペアとして発注したんじゃないかな。僕たちは多分すぐに“これでいこう”と決めたと思う。

PMc:うちの事務所では、ドラムヘッドに文法的な間違いがある事に気付いたんですよ。“Sgt”の後にセミコロンがある事と、“Peppers”にアポストロフィがないんですね。それはたまたま間違えたって事ですかね?

PM:そう、たまたま間違えたんだね! これを描いた人は、さっきも言ったように移動遊園地などで描いている人で、こういうもの[ポールがアルバム・ジャケットのロゴを指差して]、つまりこういう金銀の線を使った装飾文字は、移動遊園地のワルツァーの横とかに描かれているだろう。ライドはすべてこういう装飾に覆われているよね。

だから多分“Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band”と言われた時に、“Sgt.”の“gt”の後に普通だったら自然に省略のピリオドを打つはずだけど、多分このように下に描いた方が構図的にいいと思ったんだろうね。それでもなぜセミコロンにしたのかはわからないよね。もしかしたら、単に点が二つだったのかもしれないけれどね。そしてなぜアポストロフィがないのか? 特に理由はないと思う。彼は依頼を受け、この美しいデザインを作ったというだけの事だ。

PMc:アルバムに付帯していたカットアウトは、誰のアイデアだったか覚えていますか?ヒゲと、メダルとストライプとバンドの立像の切り抜きですが。

PM:多分ピーターのアイデアだったと思う。彼にはサージェント・ペパーのバンドについての基本的なアイデアは伝えてあった。アルバム・ジャケットでは最初のアイデアにあった花時計が、花飾りに変更された。そして、この“芝居”の登場人物にはそれぞれにバックグラウンドがあるという設定だった。だからメンバーには、彼らが扮する人物がどういう人たちのファンなのか考えてもらいたいと伝えたんだ。そして皆、この宿題のような作業をしてくれた。

PMc:結果的にアルバム・ジャケットのコラージュには入らなかった人もいたのですか?

PM:うん、いたよ! 何人かね。これは楽しい企画だったから、確か誰かがヒトラーをあげたと思うけれど、これは即刻却下した。“ダメ!”ってね。ジーザスもいたな。彼はヒーローとしても理解できるけれどね。でも人によっては気分を害する場合もあるので、却下した人もいる。ヒトラーなどは、ジョークであげたと思うけれど。彼を入れるわけにはいかないよね。ジーザスはジョークではないし、入れてもよかったんだけれど、キリスト教徒を怒らせたくはなかったから。

PMc:あなた自身は誰の名前をあげたか覚えていますか?

PM:[アルバム・ジャケットを眺めながら]確か僕があげたのは、当時、本を読んでいたオルダス・ハクスリー、そしてH.G.ウェルズ、あとフレッド・アステア。それにディラン・トーマスも。

フットボールの選手もいるよ、確かディキシー・ディーンだと思った。誰が誰だかは、すべて資料にあるはずだ。ローレルとハーディは僕たちのお気に入りだった。ウィリアム・モリス、マリリン・モンロー、テリー・サザーン。アルバム・ジャケットの下に写っているのが、当初の花時計のアイデアから変わったものだ。これをマリファナだと言う人もいたけれど、違うよ。ただの植物だ!でも、もちろん当時は皆、僕たちがやっていた事をなんでも関連付けていたからね。

とにかくそういうことで、僕たちはお気に入りの人たちをリストアップした。ジョージはヨガナンダなどのグルの名前をあげていた。それとババジもここにいるね。皆でそれぞれ、歴史上の人物など、尊敬する人たちをあげたわけだ。この架空のバンドのメンバーに対してファン向けの雑誌が“君たちのお気に入りの人は?”と質問した時に答えるみたいに。すると彼らは“ああ、そういう人が好きなんですね”となる。僕たちにしてみれば“じゃあこいつはこういう性格なんだな。ジョージは神秘的な人が好きで、ポールは、文学的な人が好きなんだろうな”と、それぞれの人物の性格づけができたわけだ。これはバックグラウンドを作るための作業だった。

僕たち皆が好きな人たちもいたよ。オスカー・ワイルドとか。マックス・ミラーはイギリスのコメディアンだ。そして、ビートルズの元ベーシストだった故スチュアート[サトクリフ]の姿もある。オーブリー・ビアズリーはアーティストだ。バワリー・ボーイズは、ちょうど僕たちが子供の頃にやっていたテレビ・シリーズのキャラクターだ。でもその内の一人は同意してくれなかった。その内の一人はギャラを要求してきた。

僕たちは登場する人たち全員に手紙を書いて、“構わないですか?”と尋ねた。実は最初はそんな事をする予定はなかった。でもEMIのトップだったサー・ジョセフ・ロックウッドが僕の自宅まで来て文句を言ったんだ。彼は言ったよ「悪夢になるぞ。絶対に訴訟問題になる!」とね。僕は「いや、いや、皆、気に入ってくれるはずだよ!ビートルズのアルバム・ジャケットに載るんだからさ! 皆、笑って済ませてくれるよ!」と言ったけれど、「いや、全員に手紙を書け」と彼に言われた。

それで言われた通りに皆に手紙を出した。“アルバム・ジャケットでこういうことをやりたくて、あなたの写真を使いたいのですが、構わないですか?是非、許可していただきたいのですが”と書いた。そして全員から許可を取り付けたんだけど、バワリー・ボーイズの一人だけは、ギャラをよこせと言ってきたんだ。僕たちは思ったよ“もう、十分に人は足りているから、別に載せなくていいよ!”ってね。

PMc:このことでアルバムの発売日が延期されたりしたのですか?

PM:いや、そんなことはない。まだジャケット写真の撮影は行なわれていなかった。アイデアだけで……いや、待てよ。もしかしたらもう撮影はしていたかもしれない。その後で皆に手紙で許可をもらわなければならなかったんだった。

PMc:もし今同じことをやるとしたら、1967年当時とは違う人をアルバム・ジャケットに選びますか?

PM:どうかな、多分ね。でもそれは時代が違うからだよ。

PMc:サージェント・ペパーで口髭を生やしているのは、バイクで事故ったからだとどこかで読んだ事があるのですが、本当ですか?

PM:そうさ! リヴァプールで友人とモペットに乗っていてね。タラ・ブラウンというギネス一族の友人と二人で、それぞれ自分のモペットに乗って、僕のいとこのベティの家に行くところだったんだ。モペットというのは、小さな原付バイクだ。満月の夜で、僕が「わあ、すごい満月だ!」と言ったところで、バランスを崩した事に気付いて、あわてて振り返った途端に歩道にぶつかって転んで唇をぶつけちゃったんだよ! そして、いとこの家に着いて、口を手で覆いながら「やあ、ベット! 心配するには及ばないよ」と言った。彼女は“あら、なんて面白い事言うのかしら”と思ったんだけど、顔を見て“….あらら!”となった。

そこでベティは「じゃあ、あの人を呼ぶわ」と言って、地元の医者を呼んでくれた。でもさ、なんと彼はかなり酔っていたんだ。その医者が「これは縫わなきゃだめだな!」と言った時に僕は「え!」って思ったよ。だって確かクリスマスかお正月か、そういう時期で、彼はかなり出来上がっていたからね!

彼は針を取り出したけれど、糸も通せないんだ、全然だめでね。確かベティが“じゃあ、私がやる”とか言って針に糸を通してくれたと思ったな。僕は思ったよ、“もう、なるようになれ!”ってね。

そして彼は麻酔も何もせずに、いきなり縫い始めた。バシッ!“痛い!”彼は針を刺して縫って、また反対側に通す。“痛い!”僕は立ったままで、最悪の状況だったけれど、“とにかくやってもらわなければしょうがない”という気持ちだったよ。そして彼が糸を引っ張ったら、そのまま糸が抜けちゃって、「あれ、またやり直しだ」だって。“なんてこった”って感じ。満足したかって? もちろんノーだ!

ということで、その後、かなり大きな傷跡が残ったから、それを隠すために口髭を生やす事にしたんだ。まだ今でも跡が残っているんだよ。かなり深い切り傷で、歯も折れた!

とにかくやってもらうしかなかったからね。とりあえずは縫ってもらった。素晴らしい仕事とは言えなかったけれどね。その後、傷が治るまでは、ヒゲを伸ばす事にした。しばらくは、人前に出ることもなかったから、次に皆が目にしたのが口髭を生やした僕の姿だったわけだ。バンドのメンバーも皆、気に入って、皆で口髭を生やした。お遊びでね。つまり、そういういきさつだったんだよ!

「教えてポール!」後編
アルバムの最後、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の後に超高音が入っていますよね。そしてレコードのインナー・グルーヴ・ループが入っています。このアイデアはどこからきたものですか?

あのループは、当時僕たちがよくパーティをして、マリファナでハイになっていた事に由来しているんだ。皆でパーティをする時には必ずLPをかけていた。そしてレコードが終わっても、皆ハイになっているから、レコードはこういう状態になる[ポールはレコードの針が内側の溝を走っている音を真似る]。皆、経験があるはずだ!でも皆、 “あれれ……ありゃりゃ”とか言うだけで、誰も止めに行かないわけ!

だから、だったらここに何か入れてやろうじゃないかと思った。ちょっとしたループを作って、そうなった時にも常に何か聞こえてくるようにしよう! それがあのアイデアの発端だ。僕たちは皆でマイクを囲んで馬鹿げた事を色々としゃべった。その時に僕たちが言った事の一部をあのようなループにしたんだ。

確かジョンは“クランベリー・ソース、クランベリー・ソース”とか言っていたと思う。これは僕たちにとってはちょっとしたお遊びだった。僕たちは常に、他の人たちとは違うアルバムを作りたいと思っていたからね。だからこれはとても“ビートルズらしい”事だと思って、そうしたんだ。本当にあの瞬間[レコード・プレイヤーが内側の溝を走っている音を真似る]のためだけにやった。ただの“クーチュン、クーチュン”ではなく何かを入れたかった。

でもクレイジーな事に、さっきも言ったように当時は皆、僕たちがやる事をなんでも深読みしていたんだ。ある日、誰かが僕の家に来て、逆回転させたら意味のある言葉になったと言った。つまりこの溝の部分の言葉を逆回転させてみたんだね、でも僕たちはそんな事はやってみた事もなかったから、「あり得ない、そんなの馬鹿げている、嘘ばっかりだ!」と言った。そしたら彼らは「本当です、本当にそうなんです!」と主張するから、僕は、「じゃあ、来てやってみてくれよ」と言った。それで、彼はなんとかレコード・プレイヤーのモーターに逆らってループ部分の逆回転を試みた。結果、ちょっと四文字言葉を言って申し訳ないけれど、“僕たちはスーパーマンのようにおまえをファックする”と聞こえたんだよ!僕は「馬鹿げている! 信じられない!」と声をあげたんだけど、確かに“僕たちはスーパーマンのようにおまえをファックする、僕たちはスーパーマンのようにおまえをファックする”と聞こえたんだ!

という事は、これは全くの偶然だったという事ですか?

うん、そうさ!偶然だったんだけど、深読みされるとそういう事があったりするんだよね。人々は皆、真意を探ろうと色々とやるから。まあ、あれはそういう事だったんだよ。

こういうインナー・グルーヴ・ループを試みた人は今までいなかったという事ですよね?

そう、今までループをこのように加工した人はいなかった。馬鹿げたアイデアだよね。僕たちみたいな馬鹿は他にはいなかったって事さ!

でももう一つすごいのは、超高音のノイズだ[口笛を吹く]。スタジオではジョージ・マーティンとすごい話をたくさんした。彼はとても勉強家でね。とても数学的な頭脳をしていて、僕たちがやっていた多くの事の裏にある科学的な根拠を熟知していた。僕たちは考えなしにやっていたんだけど。僕たちはただ好きなように楽しんでやっていただけだったから。彼は周波数の事について話をしてくれてね、「周波数には様々なものがある」と彼は言った。例えば、と言って彼はこう言った。「君たちは私よりも若い耳を持っているから」そして続けた。「ちょっとしたテストをしてみようか」そう言うと彼はそこにあった発振器を持ち出して音を出した[ポールは低音から高音へと口笛を吹く]。そしてさらにこういう音を出した[とても高い音で口笛を吹く]。そして彼は言ったんだ「この音は聞こえる?」僕たちは言った「うん……」そしたら次にこういう音を出した[さらに高い音を口笛で吹く]。そして言った「これは私には聞こえないけれど、君たちは聞こえるかい?」僕たちは言った「うん、聞こえるよ!」

彼がさらに音を高くしたら、僕たちにも聞こえなくなった。そこで彼は言った「それでもまだ音は出ているんだよ」つまり、雑音、周波数はまだ存在しているというんだ。彼は言った。「犬はこの音が聞こえるんだよ。犬の耳の構造は人間とは違っていて、聞こえる周波数帯が違うんだ」。僕たちは言った。「すごいじゃないか!これをレコードに入れよう!」って。つまり、聞いている人たちの誰も音が聞こえないのに、犬だけが気付くわけだ。耳をピンとそばだてて、「え? 今の何?」って。

だからあのアイデアはこの傑作な会話に端を発している。そしてこの会話でもう一つ出たのは、その正反対の話だ。ジョージ・マーティンはこうも言った「こういう周波数帯の違いは多くの人が知っている事実で、ヒトラーは、自分の宣伝映画を作ったりする専門の宣伝担当者を抱えていた。レニ・リーフェンシュタールの事は君達も知っているだろう。そして彼がやる宣伝活動にはすべて仕掛けがあった」そしてこうも言った「これは本当だともっぱらの噂なんだけど、彼の大決起集会には何百、何千人が集まっていたよね。映画などでも見た事があると思うけれど。でもそういう集会で彼はすぐには到着しないんだ。その間にスタッフはスピーカーから可聴周波数以下のノイズを流す[ポールは低いブーンという音を真似る]。誰もこの音は聞こえないんだけど、なんだか落ち着かない気分になる。聞こえないけれど、なんとなく不快になるんだ」。大きなクラブなどで聞くことがある超重低音に似た感じだよね。あれは、なんかちょっと不快な気持ちになる事があるからね。そして彼は続けた「その音を流し続けて、ヒトラーが到着する直前にその音を切る」。
そうすると皆、ホッとするというわけですか?

そうさ!“ああ、彼が来てくれたから気分がよくなった!”という感じ。そこに可聴周波数以下のノイズが存在していたなんで誰も知らないわけだから。

そしてジョージ・マーティンがこの話をしてくれたんですね?

そう。ジョージ・マーティンだ。この二つは同じ時に話してくれた。ジョージ・マーティンの語る“高周波数と低周波数の話”だね。こういうちょっとした会話がとても楽しかった。そしてそれらをすべて自分たちの音楽の中で使った。

例えば、テープのオペレーターが間違えてテープ・マシーンを逆回転させたとしたら、僕たちは「え? それって何?」と興味を示した。僕はいつも言うんだけど、こういう時に他のバンドだったら「おいおい、逆回転させているぜ、馬鹿! 早く戻せよ!」で終わると思うんだ。僕たちはそういう時にはいつも「へえ、これをどこかで使えないかなあ?」ってなった。
ジョージは本当に素晴らしいプロデューサーでそういう事をわかってくれた。彼は“そうだね、使えると思うよ。ここをこうして、あそこをああすれば……”という感じで言ってくれた。それって興味深い事で、彼は物理的な事をいつも僕たちに教えてくれて、とても勉強になった。スピードを半分に落とす技術についてもそうだ。例えば「ア・ハード・デイズ・ナイト」のギター・ソロのように[ポールは歌い出す]、とてもテンポが速いものなどは、通常のスピードで弾くのはとても大変だ。そこでジョージは、「じゃあこうしよう……」と言って、スタジオの機材の速度を半分に設定した。そして僕らは1オクターヴ下げて演奏しなければならない。それが面白かった。へえ、速度を半分にすると1オクターヴ下がるのかって。ベースとかギターで、1オクターヴ下げて、半分のスピードでプレイすれば[ポール、低い声で、半分のスピードで再び歌い出す]とても楽だ!そしてそれを通常のスピードに戻すと……[通常のテンポに戻して歌う]。つまりあの曲のソロは倍速になっているわけ。このやり方は大いに楽しかったね。1オクターヴ下げてゆっくりプレイするってやり方。

「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」でもあなたたちは実際は少しゆっくりプレイしていたのかなと常に思っていたんですが。というのは声が若干高いように思えるのですが?

後で若干スピードを上げた事も時々あったよ。曲を作ってレコーディングをした後で、“ちょっと遅い!”と感じたら、レコーディングをやり直す代わりに、テープの方をちょっと上げたりした。最近ではテープの速度を上げてもピッチはそのままという機材も、ロジックとか他にもいくつか出ているけれど、当時は速度を上げるとピッチも若干上がっちゃったからね。

もう一つ、私たちのところによく寄せられる質問に、今、考えれば、「ペニー・レイン」と「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」は、このアルバムに入れた方が良かったと思っていますか、というものがありますが、あなただったら、どこにいれますか?

いや、あのままで満足しているよ。だから、アルバムのどこかに入れる事は全然考えたことがない! 『サージェント・ペパー』の前触れとして先にリリースして良かったと思っている。それに、僕たちは常に新曲をフレッシュな状態でリリースしたいと思っていた。あの2曲は出来たばっかりだったから、アルバム全部が完成するまで待つというのは、僕たちにとっては好ましい選択ではなかったと思う。あれらの曲は出来上がった瞬間に皆が気に入ったから、とにかく曲が出来て録音が終わり次第、すぐに出したいと思っていた。そしてあのシングルがこれから出るアルバムのファンファーレのような役割を果たした事もよかった。それにあのシングルは、お買い得だったって事もよかったね。つまり両A面シングルだったし。でもそれだけではなく、ある意味、次のアルバムの到来を告げるものでもあった。

どこに行くのかを示す道しるべのような感じですか?

そう!

もう一つ、寄せられている質問をします。当時、このアルバムがこれほどビッグになると予想していましたか?

いいや、そんな事はなかったな。僕たちがわかっていたのは、音楽紙が……多分当時二大音楽紙だった『ニュー・ミュージック・エクスプレス』紙か『メロディ・メイカー』紙だと思うけれど、そのどちらかの記者が“ビートルズは枯れてしまった。もう彼らは終わりだ。彼らはアイデアが枯渇したから何もリリース出来ないでいる”と書いた事だった。その記事を読んで僕たちはアビイ・ロードで密かに、そんな事はない、僕たちのアイデアは枯渇してなんかいない、いつか “いいや、枯渇してなんかいないぞ! これを聞け!”と言って『サージェント・ペパー』を突きつけて“訂正しろ!”と言ってやれれば最高だなと思っていたよ。

そして実際、アルバムがリリースされたら『ニューヨーク・タイムズ』紙の評論家が、ひどい、と言ったんだ。リンダは道で彼に偶然会った時に“あなたはおかしな人ね。あのアルバムは素晴らしいアルバムなのに、あなた何、言ってるの?”と言ってやったと言っていた。多分、その週に多くの人から同じような事を言われたんだろうね。その翌週、彼はその発言を撤回した。彼は“なんか、聴き慣れたら好きになってきたよ”と言っていた。

振り返って考えていつも驚いてしまうのは、このアルバムをレコーディングしたあなたが、まだほんの24歳だったという事実です。本当にすごいですよね!

そうだね。でも24歳で自分はかなり大人だと思っている人って多いと思うよ。僕たちもそうだったし!僕たちは19、20の頃からバンドをやっていたし、ああいうペースで4年間もやってきたのは、長い期間だった。それに皆、ロスマンズのタバコを吸っていたし、カーナビー・ストリートの服を着ていたから、自分たちはかなり流行の最先端を行っていると思っていた。だから24歳は特に若いとは感じていなかったな、20歳を越えていたしさ!

よく僕たちが17歳の頃の話をするんだ、僕とジョージが17歳の頃、いや、ジョージはまだ16歳だったね、その頃、僕たちはよくジョンに会いに、彼の通っていたアート・カレッジに行っていた。うちの学校の隣だったんだ。今ではここはLIPA、つまりリヴァプール・インスティチュートになっていて、隣にあったアート・スクールも今ではLIPAの一部になっている。とにかくジョンはそこに通っていたから、ランチタイムとかに行って、よく彼とつるんで遊んでいた。そしてジョンと同じ学年に、クラスの誰よりも年上の人がいたんだ。そういう事ってあるだろう、彼が24歳だという事を僕たちは可哀想だと思っていたんだ!本当に、純粋に気の毒だと思っていた。[囁くように]“え? 彼って24歳なの? うわ、気の毒に!”という感じ。今思うと、彼だってまだほんの子供だったんだけどね。でもそういう思いがあったから、自分たちが24歳になった時は、かなり色々とやってきたなと感じていた。十分やってきたから、僕たちは大人だと思っていたわけだ!
PaulMcCartney.comのあとがき:
このQ&Aの録音を止めた後も、ポールは、色々と興味深い話をたくさん聞かせてくれた。例えば、ある日ジョン・レノンがギターをアンプに立てかけたところ、5弦がハウリングした。バンドの皆がその音を聞いてびっくりして「一体何?」と言った。そしてジョージ・マーティンが、周波数によっては物体が共鳴する事もあると説明すると、この新たな音を「アイ・フィール・ファイン」の出だしで使おうと決めた、という話など。

ポールは、ビートルズのそういうところが大好きだったと私たちに語った。こういう“嬉しい偶然”があったときに、バンドはそれをどうにかして曲に取り込もうとした。この事をポールは、画家が予期せずにカンヴァスにつけた刷毛の跡を塗りつぶさずにそのままにしておく事と関連づけて語ってくれた。

もう一つポールが私たちに語ったのは、スタジオでセッション中にエンジニアの一人がテープを逆にかけてしまった時のエピソードだった。“プレイ”ボタンを押したら、曲が逆回転で聞こえてきて、彼らはすぐにジョージ・マーティンに、これをどこかで使えないかと相談した。ポール曰く、ジョージの返事はいつも、顎を撫でながら、思慮深い顔になって「そうだね、多分出来ると思うよ…… 」だったそうだ。そしてその後の事は、ファンなら周知の事実!